月日は流れ、とうとう審査会・・・
っと終わりました昨日。
当時、私の様な自営業者が、審判になろうとしていること自体が稀で、
ましてや、バスケ現役でもなく、先生や関係者(公務員)でもなく、
突然現れた怪しい人物を、
〇〇県バスケットボール協会は受け入れるのだろうか?
一応、長男の高校の保護者会に、協会の日本公認審判がいらっしゃいましたので、
その方にお願いをして、協会の審判部員になった訳です。
そこからなのですが、
今現在は、県公認審判と言う括りはなくなり、
上級審判から順に申し上げますと、
S級・A級・B級・C級・D級・E級に分けられる様になりました。
話は昔に戻りまして、
県公認審判になるための審査会(記憶があやふや)らしき物があったかもしれない?
何故か、そこの所(審査会?)の記憶が飛んでいるのです。
取り敢えず、1年を掛けて200試合位の笛を吹かして頂きました。
ミニバス、中高大生、社会人とありとあらゆる試合を吹きまくり、
それを踏まえて、
上級審判員からいろいろご指摘、ご鞭撻を賜り、
結果、県公認審判となった訳です。
やっと、「理不尽な審判の言動」の人達と同じ土俵の上に立つ事が出来ました。
しかし、ここからが試練の始まりです。
次は、日本公認を目指さなければ意味がありません。
M中のよからぬ輩たち(審判を目指すきっかけ)は卒業してしまいましたが、
次男が3年生時に、バスケの指導をしておられた先生が赴任して来られたので、
私は、オブザーバー的な存在として携わっていき、
審判を中心に活動していったのであります。
次回、忖度がある世界