おはようございます。
天の声です。
7月4日午後からMRIの検査をしてきました。
結果、骨盤の転移は縮小し、再度骨が形成されているとの見解!!
ほかの転移部分、原発巣の肺の腫瘍の大きさも以前と変わらず、
腫瘍マーカーは4.0までさがりました♡
このままジオトリフでの治療を継続します。
とっても順調です。
次回は不思議な縁の話しに戻ります。
「天の声」です。
昨日と今日、夫はバスケットボールの大会に出場するため長野県に行っています。
背骨への転移を聞いた時、またバスケットが出来るようになるなんて夢にも思っていませんでした。
すごく楽しんでると思います。
ケガなく無事に帰ってきますように。
不思議な縁の話しに戻ります。
夫のおばあちゃんの玉子さんとは、夫も私も会ったことがありません。
玉子さんは2歳の娘(夫の母)と、産まれたばかりの男の子を置いて実家に帰ってしまいます。
離縁されたのです。
真実かはわかりませんが、私のばあちゃんの話しでは、玉子さんの夫が不倫して、その不倫相手と一緒になるために玉子さんと離婚したとの事です。
夫のお母さんは義母に育てられました。
離婚後玉子さんは、金沢市内の御屋敷で家政婦さんをしていた時がありました。
都合でその仕事を辞める時、次に働くことになったのが私のばあちゃんの玉子さん。
引き継ぎの為何日か一緒にお屋敷で仕事をしたそうです。
その後、玉子さんは再婚し子供もできて幸せに暮らし、平成7年に亡くなったそうです。
そしてもう一つ、私のばあちゃんの玉子さんが話してくれたことがあります。
親戚の中で運送の仕事をしているのは夫だけなのですが、
夫のおばあちゃんの実家は馬を何頭も使って物資を運搬する仕事を手広くしていたそうです。
夫のひいおじいちゃんである源次郎さんが運送の仕事をしていたとの事。
やはり縁を感じます。
私のばあちゃんは平成30年に亡くなりました。
この話をしてくれたのは、亡くなる2年ほど前の事。
もっと前に聞いていれば、夫のおばあちゃんの玉子さんを探して会ってみたかったなと思います。
次回 夫のおじいちゃんと私の接点
こんにちは。「天の声」です。
まず夫の定期検査の結果報告から
報告が遅くなりすみません。
2週間前に呼吸器内科で腫瘍の大きさの検査をしました。
1っか月前より大きくもならず、小さくもならず、現状維持との事でした。
しかし、腫瘍マーカーの値がすごく良くなりました。
5.0以下が基準値なのですが、なんと4.9まで下がっていました(^_^.)
基準値内です。
良かった~♡
7月4日にMRIで骨盤の腫瘍の検査をするそうです。
またご報告します。
不思議な縁 Ⅱ に戻ります。
私のおばあちゃんの名前は
【玉子】
夫のおばあちゃんの名前も
【玉子】
その時代に玉子という名前が流行っていたわけではありません。
夫のおばあちゃんは明治42年(1909年)生まれ
私のおばあちゃんは大正12年(1923年)生まれです。
ここからは私のおばあちゃんの玉子さんに聞いた話です。
夫のおばあちゃんと、
私のひいおじいちゃん(名前は【義】明治37年 1904年生まれ)は、
いとこなのでお互いのことは良く知っていたそうです。
夫のおばあちゃんの玉子さんは、とても優しくて綺麗な人だったとの事。
義さんが結婚し長女が生まれた際、「いとこの玉子さんのような優しく美しい女性になりますように」との願いを込めて娘に「玉子」と名付けたとの事。
夫のおばあちゃんの名前にあやかって、私のおばあちゃんの名前が玉子と名付けられたということです。
「願いどおりには育たんかったけどな」と、ばあちゃんが笑ってたのを思い出します。
(^_^.)
この続きはまた次回
おはようございます。
「天の声」です。
今回は夫と私の不思議な縁について書かせて頂きます。
夫は東京生まれ、私は金沢市生まれ。
夫はお父さんの転勤の為引っ越しを何回も重ね、中学時代から金沢市民になりました。
私たちは違う中学、高校に通っていましたが、夫の友達と私の友達がつきあっていて、それぞれ友達を誘ってグループで一緒に遊んでいたのがきっかけで、付き合うこととなり結婚しました。
結納の日、夫の両親が戸籍謄本を持ってきてくれました。
それを見た私の母は驚いていました。
夫と私は親戚だということがわかったのです。
夫の母方と私の母方は親戚だったのです。
戸籍謄本を取り寄せて家系図を書いてみました。
(昔の戸籍は手書きで旧字が使われているため、解読が大変でした。)
江戸時代まで遡ります。
「〇崎 又右エ門」さん(天保13年 1842年生まれ)と、
「こん」さん(生年月日は不明)夫妻が、
私たちの共通のご先祖です。
この二人には何人か子供がいて、
長男の「太三郎」さん(慶応3年1867年生まれ 大政奉還の年)
は私の母方の先祖になります。
太三郎さんには「源次郎」という弟がいました。
源次郎さんは子供の出来ない夫婦のもとに養子に出され「☆谷 源次郎」と名前が変わり、夫の母方の先祖となりました。
ひ孫の子供は玄孫(やしゃご)
玄孫の子供は来孫(らいそん)というそうです。
又右エ門さんと、こんさんの来孫が夫、玄孫が私となります。
もう少しわかりやすく言うと、
夫のおばあちゃんと、私のひいおじいちゃんが「いとこ」になります。
すごーく遠い親戚ですが、戸籍謄本に書いてあることなので間違いはありません。
私の母が戸籍を見て何故親戚だとわかったかと言うと、
夫のおばあちゃんの【☆谷 玉子】という名前が戸籍に書かれていて、母はその方の話しをよく聞かされていたとの事でした。
夫のおばあちゃんの名前は「玉子」
私のおばあちゃんの名前も「玉子」
2人の玉子さんの不思議なつながりも、次回お話しさせて頂きます。
次回 不思議な縁 Ⅱ
お久しぶりです。「天の声」です。
このブログのタイトルは【10日後の花道の日記】
ですが
最近は【10日後の花道の妻の日記】になっています。
夫の書くブログを楽しみに待って下さっている方、すみません。
夫は今日も朝3時に起きて午前中仕事に行っています。
とても元気にしておりますので安心してください。
夫は12月に60歳、私は来年2月に60歳になります。
数え年では二人とも還暦になっていますので、
子供たちが今年の夏に、還暦祝いとして北海道旅行をプレゼントしてくれることになりました。
私たち二人、長男夫婦、二男夫婦と孫2人、三男夫婦、全部で10人の大移動になります。
それぞれ最寄りの空港が違うため、小松空港から北海道、関空から北海道、羽田から北海道と到着日も到着時間もバラバラです。
最近は毎週末、旅行の打ち合わせでLINEでリモート会議をしています。
これがまた楽しい♡♡
キャンピングカーもレンタルすることにしました。
みんな元気で旅行できますように(^_^.)
とっても楽しみです♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡
こんにちは「天の声」です。
前回「私はとても幸せです。」
と書きました
旦那さんが肺がんステージ4で幸せなんておかしいんじゃない?
そんなこと有りえない、強がってるだけなんじゃない?
と、思われた方もいらっしゃるかもしれませんね。
この幸せという気持ちは何と説明したらいいか難しいのですが、、、
理屈っぽくなることすみません。
思ったことを書いてみます。
では問題です。
夫、私、このブログを読んで下さっているあなた
この三人の中で一番長生きするのはだれでしょうか?
答え
わかりません。
産まれたら必ず終わりの日が来るのは、みんな平等です。
夫も私もあなたも、そう考えると同じです。
一日24時間、
泣いて過ごしても一日
愚痴を言ってすごしても一日
笑って過ごしても一日
どうせなら笑って過ごしたいものですよね。
大切な時間を大切だと思って過ごせることはとても幸せです。
頑張って無理して笑っているわけではありません。
普通に過ぎる毎日が、どれだけ幸せな時間かを感じることができてるだけです。
地震が起こり、津波が来て、コロナ禍になり、ロシアがウクライナに侵攻し、
有り得ないことが次々と起こってます。
今までの普通の生活が、なんて幸せだったんだろうと思ったことありませんか?
夫がガンになって、その気持ちがもっと強くなりました。
なので、私はとても幸せです♡♡
こんにちは、「天の声」です。
以前のブログに書きましたが、夫がガンかもしれないとわかってから、私は10日間泣き続け、その後夫の前向きな言葉で泣くことはなくなりました。
ガンかも、ガンじゃないかも、と病状がはっきり確定されるまでが一番辛かった時間です。
肺腺ガン、背骨に転移しているステージ4と診断されてからは、どのように治療していくかだけ考えていたので、不安な気持ちより、治療に対する前向きな気持ちに変わっていきました。
ペット検査の際、もしかしたら大腸にも脳にも転移しているかもしれないと言われたので、その二つの転移がなかったことに安堵しました。
何度か入院を繰り返しましたが、副作用が少ないことも有り、夫はいつも元気です。
どれだけ夫の元気な気持ちに支えられたかわかりません。
5年ほど前、私の両親が二人そろって体調を崩し、母は要介護5、父は要介護2となり、仕事、病院への付き添い、施設探しと、家事をする時間もない日々が続いたことがあります。
最近そのころの事をブログに書いてみようとしたのですが、途中で吐き気がしてきて書くことが出来なくなり、書いた文章をすべて消してしまいました。
無我夢中で親の施設探しをしていた時期が、相当私の心にダメージを与えていたことに
ブログを書くことによって気付けました。
私の適応障害はその頃からのストレスの積み重ねも影響しているのではないかと思います。
親の介護からのストレスが癒えないまま、夫がガンになってしまい、適応障害を発症したのだと思います。
夫の入院中は私の療養期間となり、ゆっくり休むことができたのは本当に良かったです。
「おはよう」と言えること。
朝早く起きてお弁当を作れること。
「行ってらっしゃい」と送り出せること。
「お帰りなさい」と迎えられること。
普通のことですが、幸せな時間だと気付きました。
そう気付くと、一日すべて幸せな時間です。
なので、現在私はとても幸せです。
次回 夫がガンになって思う事 Ⅱ